フィリピン人との馴れ初め①

2003年2月に初めてフィリピンに降り立ち住み着いてしまったPandesal(パンデサル)です。当時の出来事や現在の様子、子育ての苦労話など綴っていければと。時たま趣味の家庭菜園やサイクリングのことなど。

 

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ブログ初投稿は私とフィリピンとの関わりについて書いてみます。


時代は1980年頃とジャパユキさん全盛期。
私が住んでいたところは、県営団地と市営団地に挟まれ、フィリピン人と結婚されていた方々が多く住んでおり小さい頃から接点があった。


ただ私がみてきたフィリピン人の旦那さんは何故か殆ど昭和のヤクザ風の方々ばかり。

風といったが本職さんだろう。その内の一人が近くの交差点で当たり屋をやっていて、団体名を大声で叫んでいるのを下校中に良く見かけた。3000円だったか5000円だったかの示談金で事終えると親父から聞いた事がある。

 

とはいえ優しい一面もあり一度だけラムネをくれたことがあった。狭い地域社会なので誰もが、どこのだれかは大方知っている。ご近所の立ち話では、あぁまた●●さんやってるね。という感じだ。


また実家が自営業の為、営業の人がよく訪れては、親父とエロ話に花咲かせ慰安旅行でフィリピンだの、温泉旅館でフィリピン人ホステスがなどの話をしているのを聞いて、子供ながらにフィリピン人=良からぬ人というイメージが定着してしまった。

 

ワイドショーだったか農協のフィリピン慰安旅行問題で、現を抜かす日本男児の姿が放送されていたこともあり、親父もけがわらしい一員なんだろうなと思った事も。

 

とにかく私にとってフィリピン人は小さい頃から距離を保ちたい存在だった。完全なる差別意識が幼少期には根付いてしまったというところだろう。

 

つづく。